新潟地方裁判所 昭和23年(行)100号 判決 1949年2月11日
原告
伊藤サカエ
被告
新潟県農地委員会
主文
被告が新潟県佐渡郡吉井村農地委員会に対して爲した、別紙目録記載の土地につき自作農創設特別措置法第六条の二第一項の規定により農地買收計画を定めるべき旨の指示はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
請求の趣旨
主文と同趣旨。
事実
原告訴訟代理人は、其の請求の原因として、原告の夫一雄の父栄雄は新潟県佐渡郡吉井村に於いて別紙目録記載の田も含めて田五反六畝畑約八畝を自作していたところ昭和二十年二月死亡し右一雄に於いて家督相続により右農地の所有権を承継したのであるが当時同人は新潟県河港課に勤務していたので同年四月頃別紙目録記載の田を訴外山本一麿に対し期間は一ケ年小作料は附近並(反一石三斗位)として賃貸した、そして翌昭和二十一年度も一雄はこれを自作することが出来なかつたので引続き右田を右山本に耕作させたのであるが、原告は昭和二十二年度より夫一雄の郷里である佐渡郡吉井村に帰還して本件田の耕作をなすべく決意し夫一雄より本件土地等の管理につきその委任をうけて昭和二十二年四月上旬頃夫一雄を代理して訴外山本一麿との間に本件田の前記賃貸借を合意解除して同時にその返還を受け同年同月三十日これについて新潟県知事より農地調整法第九条第三項の許可を受け爾来原告に於いて引続きこれを耕作しているのである。然るに訴外山本一麿は昭和二十三年九月十一日吉井村農地委員会に対し別紙目録記載の田について昭和二十年十一月二十三日現在における事実に基いて農地買收計画を定めるべきことを請求し同農地委員会は同年九月十四日右田について自作農創設特別措置法第六条の二の規定により農地買收計画を定めたので原告は右土地の所有者である夫一雄を代理してこれに対し異議の申立をなし同農地委員会は右異議申立を認容して前記農地買收計画を取消したのであるが訴外山本一麿は同法第六条の三の規定により法定の期間内に被告に対して吉井村農地委員会に同法第六条の二第一項の規定に基き農地買收計画を定めるべき旨の指示を爲すべきことを請求し被告は右請求を容れて同年十一月十七日附を以つて同村農地委員会に対して右の指示をなし、原告は同月二十日同農地委員会より其の旨の通知を受けて右処分のあつたことを知つた。しかしながら前記の通り別紙目録記載の田は原告が昭和二十二年四月上旬頃夫一雄の代理人として小作人である訴外山本一麿との間にその賃貸借を合意解除し、これについて新潟県知事より許可を受け適法且正当にこれが返還をうけて爾来これを耕作して来たものであるから本件田については自作農創設特別措置法第六条の二第一項の規定による買收計画を定めることが出来ない農地である。従つて本件田について爲した被告の前記指示は違法である。よつて右指示の取消を求める爲本訴に及んだのであると陳述し、被告主張事実を否認し立証として証人中川治一、加藤勇次郞、金沢シユンの各証言及原告本人訊問の結果を援用し甲第一ないし第四号証を提出し乙号各証の成立を認め、乙第一号証の二、第二号証を援用した。被告指定代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告主張事実中原告の夫一雄と訴外山本一麿との間の本件田の賃貸借の期限が一ケ年であつたこと及原告と訴外山本一麿との間の本件田の賃貸借の合意解除が正当であつたことはいずれもこれを否認するが其の余の事実は全部これを認める。一雄と訴外山本一麿との間の本件田の賃貸借は期限の定のないものである。そして原告は夫の勤務先である新潟県中頸城郡直江津に居住することが多く本件農地の耕作をなすことが困難であつたので昭和二十二年度は本件田の耕作を訴外川嶋八千代及訴外中川治一に請負わせたのであつて結局一雄が訴外山本一麿との間に本件田の賃貸借を合意解除した昭和二十二年四月当時原告には本件田を耕作するに必要な経営能力がなかつたものであることが判明したので被告は右合意解除を不当であると認めて本件指示をなしたものである、従つて本件処分には原告主張のような違法の点はないのである、と述べ立証として証人小出八千代、伊藤久雄、市橋東、山本一麿の各証言を援用し乙第一号証の一、二第二号証を提出し、甲第一、三、四号証の成立を認め甲第二号証の成立は不知と述べた。
理由
原告の夫一雄の父栄雄は新潟県佐渡郡吉井村において別紙目録記載の田も含めて田五反六畝畑約八畝を自作していたが昭和二十年二月死亡し一雄に於いて相続により其の所有権を承継したこと、しかしながら右一雄は当事新潟県河港課に勤務していた爲これを自作することが出来なかつたので同年四月頃別紙目録記載の田を訴外山本一麿に対して賃貸したこと、そして原告は昭和二十二年度より本件田を自ら耕作しようと決意し一雄より本件田等の管理の委任を受け前記吉井村に帰還して昭和二十二年四月上旬頃夫一雄を代理して訴外山本一麿との間に本件田の賃貸借を合意解除し、これについて新潟県知事より農地調整法第九条第三項の許可をうけて右田の返還をうけ爾来これを耕作していること、しかるに右山本一麿は昭和二十三年九月十一日吉井村農地委員会に対して書面をもつて別紙目録記載の田について自作農創設特別措置法第六条の二第一項の請求を爲し、同農地委員会は同年九月十四日右田について右規定による農地買收計画を定めたので原告は右土地の所有者である一雄を代理してこれに対し異議の申立をなしたところ同農地委員会は右申立を認容してその買收計画を取消したこと、そこで右山本は法定の期間内に被告に対して吉井村農地委員会に前記規定に基き農地買收計画を定めるべき旨の指示を爲すべきことを請求し被告は右請求を容れて同村農地委員会に対し同年十一月十七日附を以つて右指示をなしたことは何れも当事者間に争がない。そして原告は別紙目録記載の田は原告が前記の如く昭和二十二年四月上旬頃夫一雄を代理して訴外山本一麿との間にその賃貸借を合意解除しこれについて新潟県知事の許可をうけて適法且正当にその返還を受けたものであると主張するに対し被告は、原告は右の如くその返還を受けた後吉井村に居住することすくなく他にその耕作を請負わせたのであつて前記合意解除の当時原告には本件田を耕作するに必要な経営能力がなかつたのであるから右合意解除は不当であると主張するので按ずるに成立に争ない甲第四号証、証人中川治一、金沢シユン、加藤勇次郞、小出八千代、市橋東の各証言及原告本人訊問の結果を綜合すると、原告は二十才位の頃から数年間農耕に從事した経験があり、前記の如く吉井村に帰還して以来年に数回農閑期に夫の勤務先である新潟県中頸城郡直江津町に行くことはあるが大部分は本件田の所在地である吉井村の現住所に在つて本件田などの田植、除草、收穫等に励んで来たものであること、そして原告は本件田の返還をうけてからその耕作について昭和二十二年六月頃までは訴外小出八千代の、同月以降は訴外中川治一の何れも助力を受けてゐるのであるが右小出八千代はその頃原告方に同居していたものであつて被告主張の樣に原告は同人に対し本件田の耕作を請負わせたものでなく単に日雇として一時これを雇傭したに過ぎないこと、又右中川治一は原告の叔父であり、事情があつて佐渡郡新穗村に在つたその所有の家屋等を人手に渡した爲昭和二十二年六月頃その母と共に原告方に身を寄せて単に原告の耕作の手伝をしているものであること及原告は前記吉井村に於いて本件田も含めてわずかに田畑合計六反余を耕作するにすぎないこと、従つて原告が本件田の返還をうけた昭和二十二年四月当時原告には別にその耕作をなすに必要な経営能力に不足はなかつたことを何れも認めることが出来、右認定に反する証人伊藤久雄、山本一麿の各の証言は措信することが出来ない。さすれば原告と訴外山本一麿との間の本件田の前記合意解除については被告主張の如き不当の点はなかつたものと云わねばならないので被告の前記主張はこれを採用することが出来ない。よつて右合意解除が不当であることを理由として爲した被告の本件指示は違法であるからこれを取消すこととし訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(目録省略)